【神社巡り日記】平将門と中央構造線(2)#04 ”坂東の将門3大鎮魂スポット その1” 国王神社

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2017/06/08 #04
いざ将門の聖地・坂東へ

車で関東に来たのは数回くらいしかないが、高速で談合坂や八王子といったテレビでなじみのある地名を見かけるといつもずいぶん遠いところまで来てしまったという実感がわく。

釈迦堂遺跡のあった釈迦堂PAを出て山梨から東京へ入って、全線開通したばかりの圏央道をひたすら東へ向かう。

やがて日が傾き始め、次第に坂東平野は美しい夕景に変わった。

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将門の匂いを感じたくなって

なぜ平将門ゆかりの地を訪れたいと思ったのだろう。

将門のイメージは歴史の教科書で登場する平将門の乱(承平天慶の乱)であったり、動かすと祟るという将門の首塚であったり、世間一般のものしかなかった。

ただ、神社巡りをしていると、菅原道真を始め祟り神とされてきた存在の本当の姿を感じることがある。

いわゆる神として封印されて現代まで残されてきた存在のことで、隠されるには隠される理由が、消されるには消される原因がそこにはある。

案外、こうした封印の神々の諸々は現代にまで大きな影を落としているような気がしてならない。

将門のイメージを一変させたのが、大河ドラマ「風と雲と虹と」だった。

1976年(昭和51年)の大河ドラマで、まだ生まれていない。

数年前だったか、新旧の大河ドラマを片っ端から見たことがあって、この作品の主人公が加藤剛さん演じる平将門だった。

愛媛とゆかりの深い露口茂さんが将門を征討する田原藤太(藤原秀郷)役だった。

実際の史実とは異なる部分もあるだろうが、将門の生い立ちから京都での青年時代、そして乱を起こす至った経緯やその結末が丁寧に描かれた佳作だったと思う。

この加藤剛さんのイメージと合わせて、将門の存在そのものを感じていくうちに、もっと深く近づいてみたいと思うようになっていた。

坂東の将門3大スポット その1 国王神社(國王神社)

坂東インターで下りた。

「下妻物語」で見たようなのんびりとした平地の広がる地方都市だった。

郊外のまっすぐな道を15分ほど走ると、こんもりした森が見えて、そこが国王神社だった。

国王神社は平将門の終焉の地といわれている。

平将門といえば、京都に晒された首がいまの東京は大手町の首塚まで飛んできた、というのはよく知られている。

だが、どこでどうやって亡くなったのかはほとんど知られていないのではないだろうか。

もともと坂東平野の下総国や上総国(いまの栃木県や茨城県)に精力を持っていた平将門は、ここ坂東市の旧岩井市を本拠地としていたといわれている。

なおかつ、平将門の乱に敗れ討ち取られた地も岩井だという。

古文書によれば、国王神社は平将門が討ち死にしたその場所に祀ったものとのことだ。

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将門が息絶えたという国王神社は住宅地の一角にひっそりあって、鎮守の杜と呼ぶにふさわしいほどこじんまりとしていた。

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鳥居の手前、左側に参道に向かって90度の角度で神社名の石碑が置かれているのが印象深い。

通常、社号は参拝者に見えるように参道に対して正面に置かれるものだ。

こうした一般の神社とのちょっとした違いもここが将門ゆかりの神社という目に見えない意味を感じてしまう。

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平将門といえば日本人ならその名を知らない者はないという英雄もしくは奸雄。
だが、終焉の地の神社であるとは思えないほど、地味な境内である。

明治になるまで朝敵として扱われてきた経緯があるとはいえ、寂しさを覚える。

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茅葺きの拝殿は味があってとてもいい。

瓦葺きでない神社は珍しいが、この入母屋造りは国王神社の息吹を感じる。

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境内には平将門の鎮魂碑が並んでいた。

それほど大きな神社ではなかったが、社殿を包む杜の雰囲気が切ない空気を出しながら浄化の役目を存分に発揮していて安心して参拝を終えることができた。

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次に、将門が本拠地として居館を置いた跡といわれる石井(いわい)営所跡へと向かった。

国王神社/平将門 公をお祀りする茨城県坂東市の古社・国王神社公式サイト
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