神経質な子どもに生まれて

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神経質な子ども、敏感な子ども

神経質だったり敏感だったり、繊細と言われたり、自分の性格について人は周囲が発する機械的な反応によって自認していき、アイデンティティーを形成していく。

そんな私は、ずいぶんと神経質な子供だったらしい。

子供の頃に母親から聞かされた赤ん坊の頃の話で、後に自分で納得をし、神経質傾向を強めたエピソードがある。

それはまだ乳児のとき、3つ上の姉を寝かしつけるときは、だっこしたり、おんぶしたり、ゆりかごをゆっくり揺らしていると自然にすやすやと眠りに入っていた。

一方、私は、寝かしつけの時、母親であっても抱き抱えられたり、ゆりかごを揺らすと決まって泣き出して、泣き止まなかったらしい。

そこで、ゆりかごに私を寝かせて、そっと部屋の入り口の辺りから覗いていると、安心したような表情ですやすやと眠っていたそうだ。

また、ちょっとでもミルクの温度が熱いと敏感に感じて哺乳瓶を投げ捨てていた、とか、わずかな気温の変化にも心身の影響が強かったとか、姉がそれほど手が掛からなかった分、私にはずいぶんと苦労したそうである。

そのとき、母は私に対して、「我が子ながら、なんて神経質な子なんだろう」と感じたとともに、子育てを通して次第に、「この子は、ちょっとでも育て方を間違うと大変な方に成長してしまうかも」と直感的に恐れていたとのことだった。

わざわざ自分の0歳のときのエピソードから書き起こしたのには、いま自分の中にあるさまざま性格、その弱さ、そして強さなど、小さい頃から周りの大人たちに影響された自分自身を形成してきたものの、改めてリセットをして客観的に捉え直してみたい、という気持ちが生まれたからである。

中年の危機で糧となる手札

神経質に生まれこと、何事にも敏感に育ったこと。

それは果たして性格的な弱さや人としての脆弱さ、強く生きることが前提条件であるこの社会において劣った私であったのかどうか。

優しいことが評価されない時代で、声を大きい者ほどすべてに有利を思えるような社会にあって、私はこれからどのように

心理学的に中年の危機と呼ばれる年齢に差し掛かってきたのだが、果たして私は大人になっているのだろうか。

この問いは、明らかに10代や20代前半の時のような青年期の真っ直ぐな悩みとは性質を異にしている。

生まれた頃から抱えてきた神経質傾向をはじめ吃音であったり、肥満であったり、さらにはうつやさまざまな不安感であったり、こうした自分の中にできればしまっておきたいものこそ、これから後半の人生のなかで糧となる手札なのかもしれないと感じている。

今回、古くは2016年から続けてきた、湖衣の分不相応、書道日記というネットの片隅のブログにおいて、たとえ匿名ではあれ非常にパーソナルな出来事を客観的に書き綴っていくことで、自分自身の整理に役立てるとともに、同じようなテーマで立ち止まっている人に何らかの示唆があれば嬉しいと思う。

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