生き続ける恐怖を、本を読む行為で乗り越えられか

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9月の10日あたりからようやく猛暑がやわらいで、息ができるようなった。

8月から9月にかけて、体調を崩してしまってなかなか回復しないまま停滞しているものの、季節の移り変わりはなんともありがたい。

心身共に少し落ち着いたタイミングで、ようやく今年のコロナというものを客観的に見つめることができるようになった。

コロナ禍に覆われた社会を、世界を、そして自分自身の肉体面や精神面を含めた感覚そのものを、である。

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社会の大きな節目でいま社会の座標はどこなのか

こういう大きな時代の変わり目は、その後のゆりもどしが厳しい。

直近では、2011年の東日本大震災から続く福島の問題によって社会は大きく変容した。

政治経済もだが、人々の日常の意識がどんよりしていったように感じる。

東京五輪を頼みの綱として、ようやく数年をかけて社会として日常を取り戻しつつあった2020年に訪れたのが、新型コロナウイルスで、ここ10年、20年で日本社会の土台がますますシロアリに食われてしまった状態が露見している。

日々、どんよりした空気がこの身体にまとわりついたまま離れることがない2020年も、9月が終わろうとしていて早残り3ヶ月あまり。

漠然とした不安は農園の獣除けの電気柵のように自分の周囲を取り囲んでいて、ちょっとでも気を抜くとすぐに接触して感電してしまいそうだ。

すべてに立ち帰るための読書

日常的に職業としてライターではあるものの、どのくらいの文章量を読んでいるのだろうか、あまり振り返ることはない。

ただ、思考を深めるための読書、そして自分の本質に根ざすような選書というものは、つい日常生活に溺れていると遠ざかってしまう。

こうした社会情勢の大きな節目のおかげで、幸か不幸か、また哲学だったり政治や経済や社会学だったり、思想や医学、科学分野だったりの専門書を中心に読書欲が湧いていて、シリーズもののドラマにハマると次の回へと見るのが止められなくなるように本を読み継いでいる。

この新型コロナウイルスがすべての中心となった2020年前半とはいったい何だったのか。

私たちの社会は何を失って、何が変わり、そして私の身体そして精神や心はどう変容して、どこに行こうとしているのか。

いや、どこにも行きたくないと同じ場所に留まっている自分の一部があるのかもしれないし、すでに別の一部はすっかり未来に飛んでいってしまっているのかもしれない。

“死者──われわれの死者──は、もはや埋葬の権利すらない。

大切な人の身に何が起こったのかさえはっきりしない。

近隣の人間関係は消去された。

教会がこの件について沈黙しているのは興味深いことだ。

どれほどの期間つづくのかも分からぬまま、こんなしかたで生きることに慣れてしまった国において、人間関係にいったい何が起こるだろう。

生き残ること以外に価値がひとつもない社会とはいったい何だろう」。”

ジョルジョ・アガンベン(イタリアの哲学者)

「思想としての〈新型コロナウイルス禍〉」(河出書房新社編集部 著)より

私はいま、物心ついてからしんしんと続いている死ぬ不安よりも、すっかり生き続ける恐怖のほうが上回ってしまっているということに、気づいた。

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