初めて自分の死臭に気づいた祖父の死のこと

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初めてリアルに「死」というものを意識したのは小学校6年生のときだった。

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煙草を死に結びつける子供

同居していた祖父は喫煙習慣があって1日1箱から2箱を吸っていた。幼稚園の頃から、近所の煙草屋さんにお使いで煙草をカートン買いしにも行っていた。その後タスポであったり、年齢確認が必要になったりといった今からは考えられないのんびりとした時代である。

煙草=体に悪いもの=死

こうした単純な結びつけは、非常に子供らしい発想ではあったものの、近親者の死をありありとイメージするのには余りあった。

ある日、私は思いきって祖父に煙草をやめて欲しいと訴えたものの、祖父は笑って聞き流し、なぜかその場で泣き崩れたのを覚えている。

肉親の死で「死」は少しずつ近づいてくる

死というものは私にとってまず、小学校低学年にあったふたりの曾祖母の死からはじまり、忘れた頃、高学年で父方の祖母、母方の祖父を相次いで亡くした。そうこうしているうちに伯父が死に、祖母の妹が死に、やがて二十歳を過ぎたとき同居の祖父を亡くした。

祖父は生来の病院嫌いで体調を崩してからもなかなか病院に行かなかったが、これ以上はと私が思ったタイミングで家族ぐるみの付き合いのあった町医者に連れて行った。そのときすでに胃がんのステージ3だった。

我慢強かったのか、祖父は胃がんの切除手術をしてから1年以上、一切通院せず、祖母に薬だけ取りに行かせて自宅で療養した。そして、当時、京都で大学4回生だった私はたまたまゴールデンウィークで帰省していたのだが、昼下がり、祖母が何度も私を呼ぶので駆けつけてみると祖父がトイレで倒れていた。

死期を悟るということ

救急車を呼び、すぐに救急病院に入院。翌日の夜、亡くなる1時間前まで意識がしっかりしたいたのには驚いた。何より、前日から病床で父に葬儀のこと、死亡届の手続きのやり方、家の整理のことなど伝えていて、父を困惑させていた。死期を悟るというのは文字通りこういうことなのかと実を斬られるような思いがした。

危篤になって突然意識を取り戻した祖父が最後に発した言葉は、私の名前だった。

フィクションからリアルへ

祖父の死は、フィクションであった人が死ぬということを自分が触れられる距離にまで近づけた大きな出来事となった。

祖父はすべてを語らずとも、理解ができる自分にとって家族を超える得がたい人だった。私は、そんな祖父のそばで生まれ育ったことは、非常に幸せであったし、もしそうでなかったら、大袈裟な表現ではなく、今頃まともな人生は送っていなかったに違いない。祖父は私に、この世に生まれた以上、この世で生き続けなければいけないという道筋を見せてくれた人物だったように思う。

祖父の死はやがて、私の中からわずかに死臭を引き出すきっかけとなったのである。

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