まとわりつく世間が発する湿気というものを

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ものごころついてから、人はだれしも

「世の中とはこういうものだ」

「日本や世間とはこんな感じでなりたっている」

といった、漠然とした社会に対する世界観というものを、さまざまな経験を通してかたちづくっていく。

10数年ないし20年以上かけて、まっさらだった心は、多大なエネルギーと涙でつかんだはずの世界観を背負っていく。

ただ、あたりまえだけれど、わたしたちは年を重ねるほどに、その世界観はさほど変わらない一方で、リアルな社会や世界は目に見えないところで変化していく。

それは実感をともなわないことがほとんどで、だからこそとてつもなく得たいがしれない。

生きることにともなう恐怖というものは、そんなどうしようもなく感じてしまう胎動のようなものをわたしたちはほぼ可視化できないという事実に負うところが大きいのではないか。

育った時代によって形成される世界観は異なってしまう。

それは良い悪いの問題ではなくて、シンプルに割り切ればジェネレーションギャップの問題になるのかもしれないが、事はそう単純ではない。

というのも、わたしたちは、生まれてから10数年で世界観を培うときにベースとなっている心をもはや取り戻せないからだ。

年を重ねても若く存在することに価値が置かれてしまうこの時代。

わたしたちは実際はどこまで、こどもの時代に形成したじぶんのなかの社会というものを寸秒単位で修正できているのだろうか。

そして、たった10数年で冷え固めた、けれどもゆるぎないと信じる世間に対するじぶんなり間尺というものをミリ単位で拡縮できているのだろうか。

「最近のニュースはひどすぎる」

だとか

「もうこの国は終わっている」

といったものたちが、どんどんわたしの心を締め付けていくこの時代にあって、梅雨時、肌にまとわりつく不快な湿気のように、心を覆っている肌がじわじわと炎症を起こしていく。

そんな感覚。

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ふと、もう亡くなってしまった祖父だったり、祖母だったり、さらには、そうした世代のお年寄りだったり、果ては先祖やこの世の先人たち、といった、ただ平凡に生きていた人たちを思ってしまう。

この、今、世間が醸し出していて、わたしにまとわりつく湿気を、あなたたちも感じていたのですか、と。

年齢を重ねるうちに、やがて老人と呼ばれる人生の秋を迎えると、もはやそんな湿気は肌をまさぐっていって、わたしたちを麻痺させてくれるのでしょうか、と。

何を感じていたのですか。

と真っ先に聞いてみたい相手がもうすでにごっそりいなくなっていることに、とてつもなく恐怖を感じている。

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